内観 〜 お金が欲しい 〜

とりあえず悟りを開いてみようとしています。

 

nagarebito.hatenablog.com

 

内観:悟りを開くための手段の一つ

 

いろいろ調べてゆくと、どうも「内観」と言うものが悟りを開くのには良いらしい。

理屈としては

  1. 人間は生まれたのち、知識や常識を身につけながら、「自我」を形成していく
  2. この「自我」は本来人の持つ「無我」を隠していってしまう
  3. 「自我」は「無意識」として人の行動を自動化する
  4. 暗黙の了解や常識で真理が隠されるように、「無意識」は「無我」「有意識」を隠す
  5. 「なぜ私はこうなんだろう?」と内観し、「自我」の深くまで探求してゆくと、「自我形成」のきっかけにまでたどり着き、そのことで「無我」に気づき、「自我」を意識できるようになる
  6. 「無我」とは「真理」を知るもの = 「悟り」の状態である

内観により「無我」にたどり着くことが「悟り」に至る道なのだろう。

 

悟ってもいない私には理屈を述べるだけが精一杯だが・・・。

 

内観の方法

ネット情報によると、内観には方法があるようだ。

その方法とは

  • 母や父、または親代わりの人、兄弟などの身近な人との関係を思い出してゆく。
  • 思い出す時期は、幼少期、小学生時、中学生期、高校生期、成人してから・・・など、時期を区切ってやっていく
  • 思い出す内容は、①相手にしていただいたこと②相手にして差し上げたこと③相手に迷惑をかけたこと
  • 一人の相手に対して2度は同時期、同内容を思い出すと良い(内観がすすむと、同じことも違う見え方になる場合もあるため)

 

このように内観はすすめられるようだ。

しかし私は、私の欲の内観をしてみた。

 

欲の内観〜「お金が欲しくてたまらない」

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私はとにかくお金に対する欲が強い。

先に明らかにしておくと、私の人生で、お金に不自由しない状態などただの一度もなかった。

常に貧乏

それが私とお金の関係です。

(厳密に言うと、これも考え方の問題なのですが・・・。単純に「足りない」と思えば足りないし、「足りている」「満足だ」と思えば足りている。多くの場合、この考え方の違いさえ身につければ、「お金が欲しい」と言う欲は減っていきます)

 

私は、いつも「お金が欲しい」と思っています。

ですから、幾度となくだまされもしました・・・。

  • ◯◯◯◯に◯ー◯するだけで月収100万円!!
  • あなたの常識を◯◯◯するだけで、時給3万円!!
  • 労働からの解放!不労所得の作り方!!

などなどの、怪しい情報にすぐに飛びつき、結果、数万円から数十万円を支払い、収入にはならず・・・・。こんなことを繰り返していました。

(ネットビジネス起業系、ネットビジネスノウハウ系、ネットビジネスツール系、投資ノウハウ、副業系・・・この辺はかなりプロのノウハウコレクターです汗)

 

なぜ、私はこんなにも「お金」を求めるのか?

内観をし、その欲の根源が見つかれば、この欲も消えるのかもしれない。

 

 

お金に対する私の記憶を辿っていくと、いつの時期でもある共通した思いがあった。

それは

自分の持つお金が、人より少ないことを実感する体験をして、自分はお金を持っていないことを人生で何度も繰り返し感じていた

というものであった。

  • 同学年の友人よりも小遣いの金額が圧倒的に少なかった
  • 友人とラーメンを食べに行き、みんなはチャーシュー麺を頼んでいるところ、自分はラーメンを頼んでいた(手持ちではそれしか頼めなかった)
  • 親からもらうお年玉よりも、親戚からもらうお年玉の方が多く入っていた(親に理由を聞くと、うちはお金が無いんだからしょうがないでしょ!との回答に、我が家にはお金が無いんだと子供心に心配した)
  • サッカー少年期、友人たちは親にマイボールを買ってもらっていたが、自分は買ってもらえなかった(お年玉と同じ理由・・・うちにはお金が無い!)

 

実際にお金はなかったのか?

それは、今となっては問題では無いだろう。

問題は、「お金が無い」ことを感じさせられてきた自分が、その都度「どんな思いを募らせてきたのか?」と言う点だ。

 

冒頭の「自我」と「無我」を当てはめてみよう。

「自我」・・・自分(我が家)にはいつもお金がない、と言う常識が無意識レベルにまでしみ込んでいる状態

「無我」・・・「自我」を剥ぎ取った結果現れる、真理を知る状態

 

ここまできて、「無我」の状態を知らないために説明できないという・・・。

 

 

内観結果〜「お金は足りなくはない」

内観によって、私は、私が持つお金の量を、実際の金額などではなく、人とのお金以外の比較で測っていたことがわかった。

それがわかった後で、いまの生活に必要なお金を計算し、収入と貯金などを棚卸ししてみた。

すると、お金はあまりはしないが、全く足りないということもないことがわかった。

 

以前は、お金に対する依存心?が強く、常にお金を求めていた。

今は、お金から自由になったことを感じているし、お金に執着することにバカバカしさすら感じている。

(だからと言って、お金が必要ないとまでは言えないのも事実。)

 

お金に対する欲は、私の場合かなり強いこともわかっている。

この内観は、またしばらく続けてみよう。見え方、考え方が変わることもあるかもしれない。

己の欲を客観視してみるとわかること

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己を知るには己の欲を知ると手っ取り早いかも

「己を知る」ことは、この世で生きていく上で、非常に重要なことの一つであります。

幸せに生きる

これは私たちに課せられた使命と言えますが、逆説的にこうも言えます。

無駄な時間を過ごし、無駄に生きるな

 無駄な時間を過ごさないためには、己の強みと弱みを知ることも大切だと思うのです。

強みと弱みを知る。つまりは「己を知る」。

 

さて、ところでここで問題が生じます。

「どうやって己を知るのか?」

 

私の行った方法ではありますが、ここに残して行こうと思います。

なぜ思い立ったのか、思考順に整理します。

 

  1. 「己を知る」ことは重要であるに違いない!
  2. でもどうやって知ればいいんだろう?
  3. 世の中のこと一つ一つ目の前に(あるいは経験)して、自分がどう感じるのかで、「己を知る」ことはできるだろう
  4. とすれば、「己を知る」とは、人間が人生をかけて取り組むことなのか?!
  5. いや、私ももうすでに40年は生きてきたのだ!私という人間の片鱗でもこの生き方にすでに現れているかも知れない!!
  6. そうだ!過去の経験から、「己を知る」ことができるんじゃないか!?
  7. もっと言えば、経験から残った強い思いを知れば手っ取り早いよね🎶
  8. 強い思いといえば、「欲」かな?己の欲を知れば、己が知れるかも!

 

過去の欲が現在の自分を作っている可能性

欲、というものに目を向けてみると、意外にへこみます・・・(私の場合ですが)。

こんなにも身の程知らずな希望を持っていたのか!と、我ながら情けなくなりました。

 

しかし、やはりというか・・・

己の欲を知れば、己が少しばかり見えてくるではありませんか!

 

そしてわかったこと。

私は、

人の目、人の評価を気にする人間で、自分自身の意思よりも、他人の言葉に影響されて人生を歩んできた傾向がある

とわかりました。

  • 女性にモテるから!と聞けば、髪型や服装もその通りに変えた
  • 「今時タバコも吸えないようじゃ、男じゃねー」とタバコに手を出した
  • 男なんだから大学くらい出ていなと恥ずかしい、と言われ行きたくもない大学進学を選んだ
  • 仕事とは、他人様の役に立つことをすることで、衣食住のどれかに関わることが手っ取り早い。とりわけ食に関することはもっとも人の役に立つだろう!と言われ就職先を決めた

まぁ、人の意見に従ったほんの一例ですけどね・・・。

進学とか就職とか・・・、かなり重要な選択まで人任せにしてるんですね。

 

 

満たせなかった欲は執着となり無意識にこびりつく

私が見た「己」とは・・・

自分の人生を使って人の人生を生きる人

だったんですね。

細かいことを言えば、仕事での意思決定なんかも、人の目・人の意見を考慮しますね。

こう言えばあの人がああ言うだろう。

あれをしたら、上司からこう評価されるだろう。

 

なぜ私は、そんな「己」を抱えて生きているんでしょうか?

これも「己の欲」を見ることで解決しました!

細かいことは省きますが、私には、どうしても満たされなかった欲があったんです。

それは

親から認められたい!

という欲です。

親から認められる = 親の言いなりになる

という勘違いまでして・・・。

 

しかし、親から認められたい!と言う欲を抱えて行きてきた私も、いずれ成人します。

いつまでも、「親から認められたい」なんて言ってられません。

でも、(言いなりになってまでも)認められたいという欲は、満たされていません。

そこで登場したのが、身の回りの人たち。

友人や彼女、先生・先輩、、、、。

彼ら、彼女らの目や意見、評価を気にすることで、満たされなかった欲を満たそうとしていたのです。

これはもう、無意識レベルに刷り込まれた本能のように、自分が従う相手を求めていたんですね。

 

手放し、自由になり、今を生きる

 「己の欲」をこうして客観視できると、不思議と

「ああ、こんなもんか」

「自分はこんなもんを抱えていたのか」

と気持ちが楽になります。

その上で気に入らなければ手放すこともできてきます。

(もちろん私は「人のいいなりになって生きる」なんて気に入らないので、手放すことにしました!!)

 

どうやって手放すのか?

 

おそらく・・・

欲の出所に納得できれば、自然にその欲は離れていっています。

「おそらく」と言うのは、私も特に手放そうと意識して、欲を手放したわけではないからです。

気づいたら離れていた。

 

以上の変化は、私特有の事例かもしれませんが、もしあなたが生きることに苦しさを感じているならば・・・。

試してみると何かが変わるきっかけになるかもしれませんよ。

 

 

 

5年後、10年後をみすえるとは・・・

先が見えるという人の言葉

先日縁あって、

「5年後、10年後の我が業界の世界」

という内容の講話を聞かせて頂いた。

 

内容としてざっくり・・・

  • A・Iやネットのさらなる改革により、人の手によるものが減っていく
  • 人手不足の中、効率を重視した大企業は、A・Iの活用によりさらなる飛躍をしていくだろう
  • 少子高齢化による生産人口の減少はさらにすすみ、80歳以上の雇用も当たり前となるが、その分、1人あたりの労働時間は減少するだろう
  • 労働時間減少に伴い、効率化促進のためにさらにA・Iやロボットの技術革新がすすむ
  • メーカー大企業が生産性を考慮した製品を作り、その製品を小売大企業が生産性を考慮した販売方法で消費者に販売をする

そんな将来を迎えるにあたって、私たちが勤める中小零細企業はどのようにして生き残って行くのか?

 

そんな内容の講話であった。

なるほど、私ですらA・Iの進歩はネットでもテレビでも耳にすることだ。

 

講師の方曰く、

中小零細企業は、

①地域密着 

②人と人とのコミュニティ作り 

③脱大企業先導の業界常識 

これら3つが重要だ!」

 

はたして真実はどうか?

講話を聞いた同僚たちの意見は賛否両論。

「確かに人の手による仕事はなくなるわな」

「年寄りに働かせるんだから、肉体労働的なことはロボットの活用を考えるのも当然で、逆にいうとロボットを管理する最小の人間で、仕事が回るようになるんだな」

 

「どんなにA・Iが進歩しようとも、人の仕事はなくなるはずがない」

「人と人との関わりは、今後大企業も力を入れてくる分野で、それすら中小企業は大企業に敵わなくなってくる。中小は大企業に取り込まれるか、潰されるかのどっちかだ・・・」

 

さぁ、真実の未来はどうなのだろう?

残念ながら、今の私には答えはない。

ただし、この問いの本質は将来の世間・業界を知ることではないと思う。

いかに自分たちが仕事を獲得し、生き残るのか?

これこそが、この問いの本質だろう。

問いの本質については、私なりの回答はある。

それは・・・

 

「どのような将来が待っていようとも、その時代の変化に適応して自分ができることを精一杯やらせていただくだけだ」

 

甘いかもしれない。

しかし、私は変化対応力こそが、今人が磨くべきスキルの一つだと思っている。

 

変化に対応するための自分作り

「変化に対応する」

いうことは易いが、やるには難しい。

ただ一つ言えることは、あらゆる分野の勉強をし、幅広い知見を得た上で、素直な心を持ち、清濁併せ吞む寛容さを持つことが、変化対応力を高めることにつながるだろう、ということ。

 

物事・時流に左右されない「ブレない芯」を己の心に持ちつつ、物事・時流を見て変化する「朝令暮改」の潔さを己の心に併せ持つ。

 

今回私は講話を聞き、強い自己主張を講師から感じたが、同時に自己主張が強いばかりに、変化対応ができるのだろうか?という危うさも感じた。

 

諸行無常」、この世の全ては変化してゆくもの。

これがこの世の真理であろう。

その変化というものを先読みしたつもりになって、強い自己主張で人心を惑わす者もいるでしょう。

私は、諸行無常の変化の中にあって、その変化を楽しむとしましょう。

 

 

悟りへの道〜内観という方法

悟るための方法や、悟りについて調べていく中で、悟るための方法の1つとして、内観という方法を見つけた。


内観とは、何かに対して、
自分がどのように感じたか?
どのように思ったか?
を、深く深く探っていくこと。
・・・らしい。

(簡単なことではないというのはわかるが、こんな説明しか出来ないのが悲しい・・・)

内観に慣れていくことで、私が今やっている、身の回りのことに感謝するということも、自然に出来ていくとのことだ。


なので、明日からは、内観なるものをやっていこうと思う。
なぜそう思ったか。
内観に慣れれば、感謝も自然にできる。
感謝をし続けても、内観は出来ないかもしれない。
内観は、悟りへの道(かもしれない)

だから私は、内観を優先的にやってみる!


・・・こんなんで良いのか⁈!

悟りってどんな状態なのか?

やりたいことが見つからないので、とりあえず悟りをひらくことを目指しています。

ところで、悟りって・・・何?
悟ったらどうなるの?


ゴールを知らずに、何をどうすすめれば良いのか・・・。

瞑想の勉強
身の回りのことに感謝する
そして、悟りについて学ぶ


ところで、悟るには、悟った人から教わるのが一番だと思うのですが・・・。
悟った人に今まで実際にあったことがない。
もしかして、悟ると悟ったことを人に話せない何かがあるのでしょうか?

悟るために身の回りのことに感謝してみた

悟るために私は、まず

身の回りのことに感謝する

ことから始めてみました。

 

前回の記事はこちら

nagarebito.hatenablog.com

 

感謝することは意外にたくさんある!

私は朝食は食べませんが、必ずコーヒーは飲みます。

一番初めの感謝は、今日もこうしてコーヒーを飲めることにしました。

そして、歯を磨く時には、当たり前のように蛇口から水が出ることに。

出勤する時には、車という異動手段の発明に。

 

感謝をし続けると、満ち足りた感覚を覚えることをはじめて知りました。

私は、すでに悟っているのではないかとさえ思えるほどでした!

 

そして気づいたことが1つ。

 

無意識にまかせると、感謝の気持ちが少なくなっていくこと。

潜在意識ではなく、顕在意識で身の回りを見ていく、感じていくことが感謝を続けるコツなんだと。

 

もしかすると、感覚を丁寧に意識するのは、潜在意識に負けずに、感謝を続けるためなのかも。

 

 

 

 

やりたいことが見つからないので悟りでもひらいてみようか

やりたいことが見つからない!

2018年ワールドカップが始まりましたね!

思えば私も、小学生時代にはサッカーにいそしんでいたものです。

毎日暗くなるまで、ボールを蹴り続けていました。

 

・・・が、中学にあがると、少しばかり自分を見失ったかのような生活をしてしまうのでした。

 

以来、私は自分が何をしたいのか?の答えを見つけることなく、40歳を超えてしまうのです。

そう、私はすでに40歳を超えているのです。

なのに、いまだに自分が本当にやりたいことさえ見出せていない。

 

仕事はもちろんしておりますが、果たして今のこの仕事が、本当に自分がやりたいことなのか、人生をかけるほどのものなのか、というと自信が全くないのです。

 

とりあえず悟ってみようか?

やりたいことが見つからないまま、私は日々の仕事や雑務に追われるのです。

まぁ、そんな中でも、子供達と遊んだり、家族で旅行したり、妻と食事に行ったりと、楽しく夢中になれることもあるわけですが。

 

 

ところで私は、40歳を超えたころから、自分に課していることがあります。

それは、本を読む、ということ。

自分がやりたいこともわからず、しかも知的戦闘力がゼロ!どころかマイナス状態!

 

せめて知識だけでも人並みにならなくては!と本を読むことを始めたのです。

 

そして、何の本だったかは忘れてしまいましたが、こんな考え方を仕入れたのです。

 

「悟りをひらけば、今あるものに感謝を覚え、自分がすでに満たされていると知るのです。

自分が何のために生まれ、なぜ苦しみを抱えながら生きているのか?その答えを知ることでしょう」

 

なるほど!悟りをひらけば、自分の本当にやりたいことなどに悩むことはなくなりそうだな!

やりたいこと、どころか、何のために生まれてきたのかすら知ることが出来るとは!!

 

やりたいことはわからないけど、とりあえず悟ってみるか!!

 

 

悟るために何をするのか?

さて、悟ることを決意した私だが、では悟るために何をするのか?は知らない。

何しろこちらは知的戦闘力マイナスのおっさんだ。

 

で、必殺!ネット検索〜〜。

  • 日々、身の回りのこと全てに感謝する
  • 自分の感覚が捉えることを丁寧に意識する
  • 瞑想をする

 

どれもすぐに出来そうな感じ。

 

やり方がわからない瞑想は、本を読んで学ぶとしましょう。

 

何から始めるか?

私が平均的な本を一冊読み終わるのに、だいたい2日から3日。瞑想のやり方を学ぶにはそれだけの時間がかかる。

 

手っ取り早く明日からはじめられるのは、「身の回りのこと全てに感謝をする」でしょうか。

そして、瞑想のやり方を覚えた後は、瞑想の継続を。

その後、自分の感覚が捉えることを丁寧に意識するということを学ぶとしましょう。

 

 

明日から、私の「悟りへの道」をお伝えしていくことにしましょう!